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種 類 | 初出誌 | 作成日 | pdfファイル |
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新聞記事 翻訳 cf, |
月刊・ムースクラブ04/10 | 2004/09/21 | ![]() |
![]() kouei1.pdf へのリンク kouei2.pdf へのリンク kouei3.pdf へのリンク kouei4.pdf へのリンク |
エッセイ | 月刊・ムースクラブ04/12 | 2004/11/26 | 左記にpdf.ファイルを4分割してます。 どちらでも 見れます。 |
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詩 | 月刊・ムースクラブ05/03 | 2005/02/27 | ![]() |
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漢詩翻訳 cf. | 月刊・ムースクラブ05/09 | 2005/08/30 | ![]() |
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雑 文 | 月刊・ムースクラブ05/10 | 2005/09/23 | ![]() |
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漢詩翻訳 cf. | 月刊・ムースクラブ05/10 | 2005/09/27 | ![]() |
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エッセイ | 月刊・ムースクラブ05/12 | 2005/11/30 | ![]() |
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エッセイ | 月刊・ムースクラブ06/01 | 2005/12/30 | ![]() |
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エッセイ | 月刊・ムースクラブ06/02 | 2006/01/27 | ![]() |
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エッセイ | 月刊・ムースクラブ06/03 | 2006/02/10 | ![]() |
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翻 訳 cf. | 月刊・ムースクラブ06/03 | 2006/02/18 | ![]() |
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エッセイ cf. | 月刊・ムースクラブ06/04 | 2006/03/21 | ![]() |
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エッセイ | 月刊・ムースクラブ06/05 | 2006/04/30 | ![]() |
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書評…投稿作品/作者 kisaragi | 書海・22号09/01 | 2008/12/* | ![]() |
↗時折、パウワウおじさんもお世話になっています
底抜けのバカの歌skip1
バカになろう
バカはバカだから 過去を思い出せない
バカになろう
バカは引き算と足し算を覚えていないので いつも無一物
バカになろう
バカは自分がどこにいるかも分からない
バカになろう
バカは 木漏れ陽のように一瞬一瞬 明るく清らかだ
バカになろう
バカはバカと
バカになろう
バカはさわりなく 生かされるままに生きているだけ
バカになろう
バカは昼は大地と空に溶け込み 夜は宇宙大に密かに身をまかせて 屈託がない
バカになろう
バカは着たきりスズメに破れた麦藁帽子 その満ち足りた響き
バカになろう
バカは春風の色を観 夏は鳥の歌に遊ぶ 秋は花の声を聴き 冬は軒端で
バカになろう
バカはあるがままの命を活かしている この老いぼれ たただ者じゃない
バカになろう
バカに名前を問えば分からないというだろう そのスッカラカンの無名性
バカになろう
バカにはとらわれたところが見当たらない この果てしのない深さ 自在な広がりは何だ
バカになろう
この誰でもないバカは知恵と愚かさが同居している てらいの無い不思議さ
バカになろう
バカは乞食のよう 生垣の外をリズミカルに歩く はたして生きているのだろうか
計りしれない 底無しの バカよ
敗者の影を負った
お前はまばゆすぎる バカよ…
“老子へのオマージュ” 初稿
top折々の記
――忘れ去られた詩人黄瀛(こうえい)skip2
黄瀛という詩人を知っていますか。大正末期から昭和初期に、日本詩壇を彗星のように駆け抜けた重重慶生れの中国人。まずは、十八歳の時の初期詩篇「七月の情熱」を見てみよう。
白いパラソルのかげから
私は美しい神戸のアヒノコを見た
すっきりした姿で
何だか露にぬれた百合の花のやうに
涙ぐましい処女を見た
父が――
母が――
その中に生れた美しいアヒノコの娘
そのアヒノコの美しさがかなしかった
あゝ、私はコールテンのズボンをならし乍ら
その美しい楚々たる姿に
パナマハットの風を追はうとした
彼女の白いパラソルの影で
その美しい眼と唇に
聖い接吻を与へようと
ふと途上のプラタナスの下で
七月の情熱を高めてしまった
一九二五(大正一四)年十月、同人雑誌『朝』所収1
ありとあらゆる
いろっぽいことも
ういもうすいも
えへん
おれは忘れたか、思い出したか
2
人間がひし曲げられた十一年半の
アブノーマル・ライフは仲なか消えない
今でもま夜中ふとカンゴクにいる思いに襲われる
この後遺症はさびしかないか
オレの犯号は一三四だったね
オレはアレから生きのびたかも知れない
卓上灯をつけると
やはり鐡格子のない、窓だった
月が出てる、ねぼけ面して
何処かから流れて来る夏の白い花の匂い
後略
「言葉の遊び」『歴程』所収、平成元年一月 2004/11/26 記ス
チャタムヒタキ50年ぶりにピット島に復活 skip3
かって、世界で最も絶滅の淵にたった固有種である野鳥、チャタムヒタキPetroica traversi は、ニュージーランド南島に浮かぶチャタム諸島のピット島に、半世紀の時を経て蘇った。
最後に生き残った14羽の野鳥は、ニュージーランド野生保護局の野鳥繁殖保護対策により、間近のランガティラ島からピット島へ移動させられた。40ヘクタールの地域が、特別に輸入されたネコとニュージーランド特有種の飛行できない鳥-捕食性のクイナとを閉め出すためにフェンスで囲われた。
ネコやネズミの天敵が持ち込まれたことにより、その固体数が多数殺害された後、チャタムヒタキの物語は、世界でも類がない劇的な野生救出作戦の一つだった。1980年には、世界に5羽のチャタムヒタキだけがいるだけだった。それも実際に営巣していたのは、たったの一番(ひとつがい)だった。
1981年から、ニュージーランド野生保護局職員は、きわめて小さな生き残りのチャタムヒタキをネコのいない近くのマンゲレ島へ移植し、多産な雌の青おばさん=i訳者注1)の卵を別種の里親チャタムトムテットPetroica macrocephala(訳者注2)へ抱卵させた。むずかしい計画とランガティラ島への遠い移送は、この固有種特有の黒いチャタムヒタキを絶滅の淵から救った。マンゲレとランガティラの2つの島とも、今では250羽以上のチャタムヒタキの固体数にあふれ、第2の生息場所となつた。
「この繁殖の回復劇は、世界でも類がない、注目すべき画期的出来事です」とウェリントン保全省職員アラン‐ロスは言った。「この救出はチャタムヒタキの劇的な物語であるのみならず、ピット島民の価値ある自然遺産の足跡なのです」……………………BirdLifeより
【訳者付記】
この記事は、南緯44度、悪名高い暴風帯にあるチャタム諸島での、絶滅危惧種、チャタムヒタキの救済物語です。野生のままで、最小の固体群(1番)からの極めて安上がりな復活劇です。…眼光紙背に徹する程の素養がないため、誤訳の部分はご指摘下されば幸いです。
〈訳注1〉チャタムヒタキの“青おばさん“は、1983年から84年に落鳥するまで毎年繁殖し、この種を救った。現存するすべてのチャタムヒタキは、彼女の子孫なのだ。
〈訳注2〉チャタムヒタキと同種。独立亜種。テットはシジュウカラ類を指す。
[チャタムヒタキの生態]
寿命;6-13年、全長;15p、食餌;幼虫や虫だけでなくアブラムシなどの昆虫を食す、
繁殖;生涯、何度も番う。メスは普通2個の卵を産み、雛を失えば、しばしば、再営巣する。
2004/09/21 意訳ス
<原文>
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